きょうは熱海花火大会の日。前哨戦というわけではありませんが、昨年に続き、静岡県民の日の記念\行事として、熱海梅園で”矢穴石”を探すイベントを実施しました。東京ドーム1個半ほどの広さの熱海梅園内でのイベントですが、2回目の今年は一段とパワーアップしました。今日の参加者数は、遠方(東京)からのお客様を含めて、合計で25人ほど。
最初に、園内のおもてなし施設・香林亭で、梅園の樹木などの健康管理や樹勢回復などに携わっておられる樹木医・和田博幸先生に、熱海梅園の特性と魅力についてお話を伺いました。
このお話のあとは、昨年に続き、梅園内で“矢穴石”探しです。そのむかし、熱海から切り出した大石が、江戸城修築にたくさん使われました。熱海梅園のあちこちに、よく見ると、四角い穴があいた石や、歯形のように一片が削られた石が置かれています。これらは矢穴石(やあないし)といって、巨大な江戸城の石垣として使われるはずだった石たちです。でも、何かの理由でこれらの石は梅園内に残されています。当会でつぶさに調べたところ、大小合わせて14個の矢穴石を確認しています。
以下に「広報あたみ(2013年)」に掲載された記事を転載します。
★江戸城を築いた熱海の石
・熱海市は火山の恩恵で温泉に恵まれ、いにしえより多くの文人墨客が訪れ、日本の歴史の中で少なからぬ役割を果たしてきました。また、その火山の恩恵によって、全国有数の石材の産地という別の一面ももっています。
・江戸時代の伊豆地方の採石場のことを石丁場(いしちょうば)と呼んでいました。「丁場」とは本来、作業現場という意味で「石丁場」とは石を割ったり、加工したりした場所のことです。
・江戸城の修築は「公儀普請」で諸大名たちを財政的に疲弊されるとともに、日本史上最大の城郭を造ることによって「天下人」が誰かを知らしめるモニュメントづくりという徳川幕府の一大プロジェクトでした。この大規模な工事で作られた江戸城の石垣のほとんどは、熱海などで採取された伊豆の石を使ったと考えられ、工事に動員された大名によって、約百万個の石が江戸まで運ばれたといわれています。
・この石材を切り出した遺跡が熱海市内には数多く残されているのです。現在でも市内を注意深く観察すると、海岸や山、あるいは住居や畑の石垣などキャタピラのような「矢穴痕(やあなこん」を見つけることができます。これらの石は、安山岩のような硬い石で、石に彫った矢穴痕に鉄製の「矢」という道具を差し込み、叩いて石を割っていました。(広報あたみ 2013.5より)
▲第一部は、梅園内の施設「香林亭」で、和田博幸先生の講演「熱海梅園の魅力」
▲第二部は矢穴石探し。こんな大きなものがあります
▲梅園内にかかる6つの橋のひとつ、雙眉(そうび)橋のたもとにも矢穴石が
▲ここは梅園入り口入ってすぐの右手にある一角。ここはちょっと見落としがちながら2個の矢穴石があります
▲どれどれ、どこにあるの?
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