人車・軽便鉄道の軌跡コース
熱海発展の礎を築いた日本初の人車・軽便鉄道、その足跡を訪ねる
明治の実業家・雨宮敬次郎の鉄道は、人車鉄道と軽便鉄道をあわせて28年間、熱海・小田原間を走り抜けました。その間、熱海は陸の孤島という汚名を返上して発展した結果、国鉄熱海線乗り入れに結びつきました。雨宮は、なぜ人車鉄道を思いつき、そして「軽便鉄道王」と称されたのか、当時を振り返りながら熱海操車場周辺の軌跡を巡ります。鉄道ファンも必見のコースです。
・スタート: 熱海駅(蒸気機関車) → 人車・軽便鉄道の旧路線を歩く
→ 大江戸温泉ホテル前(人車鉄道碑)
・開催日時: 随時。集合時間は10時。
(土日祭日中心ですが、平日も承ります)
・集合場所: JR熱海駅 足湯前
・所要時間: 約1時間
・費用 : @500円/1人につき(ガイド料)※小学生以下は無料とします。
・備考 : ガイド申込みは、2名様以上でお願いしています。
※お客様10人に対してガイド1人を想定してご案内しています。
※開催日時(曜日)、集合時間、集合場所などご相談に応じます。
※他グループと日程が重なるなどの理由でご案内できない場合があります。あるいは他グループとご一緒の提案をさせていただくことがあります。
▲雨宮敬次郎。明治の実業家。鉄道建設の先駆者で「軽便鉄道王」を呼ばれています。熱海にも鉄道インフラを建設し、人車鉄道と併せて28年間、鉄道事業を行いました。熱海発展の基盤は、彼の鉄道抜きには語れません
▲熱海街道を駕籠で行く。明治初期の熱海は陸の孤島でした。1872年(明治5年)新橋・横浜間に陸蒸気が走りますが、この頃の熱海街道はまだ山道でした
▲1881年(明治14年)人力車の通れる熱海新道が完成しますが、熱海・小田原間は5時間もかかりました。1886年(明治19年)坪内逍遥は朝7時に新橋を出発、横浜から乗合馬車を乗り継ぎ、小田原から人力車に乗り換えて夜になってやっと熱海へ到着しています
▲ 人車鉄道。日本初の本格的長距離人車鉄道は、定員最大8人の客車を2~3人の人夫が押すユニークなもの。写真のように昇り坂では渋滞してしまいます
▲軽便鉄道。1923年(大正12年)に関東大震災で被災して廃止されるまでの16年間、機関車1両に定員20名の客車を最大1両連結して、熱海・小田原間を2時間半、1日7往復走りました。写真は、伊豆山愛染橋を渡る軽便列車です
▲熱海駅前に展示されている、7号軽便鉄道機関車
▲鉄道王の終焉。1911年(明治44年)熱海の別荘で病没(64歳)しています。写真は、熱海梅園内にある雨宮敬次郎翁終焉の地碑。熱海市政80周年記念として「市民が選ぶ、熱海ゆかりの人びと」アンケートが実施されました。このとき熱海市民の人気度は29位。「熱海発展の恩人」としては残念ながら、いまひとつ
▲鉄道の軌跡を歩いてみよう。「ホテル大江戸温泉」前の人車鉄道レリーフを皮切りに周辺の軌跡を歩きます。また、特別に希望があれば軽便鉄道の16ポンドレールも見に行きます
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